また会いましょう
先日、母校である金沢美術工芸大学に講師としてお招きいただき、講義をしてきました。工芸企画演習という何でもできそうな名前のカリキュラムなのですが、作家・アーティストとして活動している卒業から10年前後の卒業生を招き、学部3年生に向けて話をするというものです。アーティストトークのような感じで、最近の展覧会活動や学生時代の話、進路やベルギー留学についての話をしてきました。
私は2007年学部卒業なので卒業から9年ほど経つのですが、この間にもやはり世代は変わり・・、最近は作家志望の学生がめっきり少なくなったとか、いろいろとそのような話は耳にしていました。私の在学していた当時、美大はアートを学ぶところであり、アーティストを輩出することが美大教育の一番の目的という雰囲気がどこかしらあって、作家になりたいと思わない学生や、アーティストではなくてもっと職人的な仕事がしたいと思っている学生などは肩身の狭さを感じたりすることもあったようです。私は美大に入る前からアーティストになりたい(アートの世界に身を置きたい)と強く思っていた者だったので、その点では違和感はなかったのですが。
作家になるだけが美大で学んだ学生の唯一最良の道では「全く」ないので、作家になりたいと思わないならそれでいいんではないでしょうか。アートの世界にもアーティスト以外にいろいろな関わり方がありますから。アーティストという道を選択する人は、どうあがいてもそれを選んでしまう人、根拠のない自信(自分の制作物に対する自信ではなく、その道を歩いていけるのではないかという自信)を持っている人で、踏み外そうが、怪我をしようが、最終的にやはりそこに戻ってくるような人です。
将来の全く保障されないギャンブルのようなアーティストとしての道。普通に考えるとなんとも恐ろしい世界なのですが、その世界ではその世界で、論理的な戦略があり、システムがあり、法則のようなもの(ルールなんて言われたりします)があるようです。アートは希望であり、絶望であり、また希望です。絶望というのは、アートが消費される世界が圧倒的な超超富裕層のものであり、アーティストは必然的にそこに使役させられる宿命だと学んだからです。(体験したという意味ではなく)そして、再び希望、というのはその市場の厳しい戦いの向こう側に、超超富裕層だけではなく、アートを必要とし楽しむ私たちのような人々が、時間や空間を超えてすばらしいアート作品を待っているということです。これは講義で話した内容ではありません。
そんなこんなで、アーティストになろうと考えていない学生さんが私の話を聞いても、全然おもしろくないかもしれないなあという思いが頭を何度かよぎりつつ当日を迎えました。講義中、学生のみなさん本当に静か・・・。で、私はこんなにしゃべり続けて良いのだろうかと思いながら怒涛の勢いで話し続けました。1時間20分の講義で1時間も話せるかなと疑問に思っていましたが、最後の質問タイムに移れたのは残り10分を切ったころでした。しゃべりすぎたね?ごめんなさい。
これは学生さんに伝えたい!というポイントを声を大にしてお話していたら、サカサカ~とノートをとってくれている気配あり、ちょっと嬉しかったです。質問も幾人かから手があがり、これが大した答えができなかったりで。
でもこの中から、ガッツのある若いアーティストや関係者が現れて、「あ~あの時の!」とか言って再会できたらいいですね。私も全く成功者ではありませんが、みなさん、頑張ってください。私も頑張りますので。