娘のリュック
もうじき3歳になる娘、最近はリング状の色とりどりの積み木やクレヨン、綺麗などんぐり、自分の好きなものをしこたまリュックに詰め込んで「学校にいってきまーす!」と言う、という遊びがひとつのブームです。クレヨンはリュックのなかでシェイクされ、積み木にこびり付いているし中はなかなかのカオスです。保育園の未満児クラスですが、年少年長さんを飛び越えて小学校へのあこがれは日々増すばかり。このリュックを買い物やお散歩の時でも持って行きたいと言うのですが、大人でも片手にずっしりと感じる重さです。ごっこ遊びの短い間とはいえ、この重たいリュックを背負う娘の意気込みを感じます。
先日、私の住む石川県で地震がありました。輪島市では最大震度5でしたが、幸い大きな被害はなかったようです。一瞬のことですが徐々に強くなる振動に、夜中に娘を抱えて飛び起きました。私の実家は神戸市で11歳の時に阪神大震災を経験しています。その体験もあってか、地震の最初の小さな振動で体が緊張して即座に反応します。日頃、災害に備えて避難用のリュックは一応用意していますが、何を入れて何がないのか数年経つと忘れているし、また点検しなければなあと思っています。
避難用のリュックのことを考えながら娘のリュックに目をやると、何とまあ無用のものが詰まっていること!もしもの避難の時にも娘はこのリュックを背負っていくのだろうか、それは大変だな~と苦々しく想像していました。その後ふとした瞬間に、あのリュックに好きなものを詰め込んでいる娘の気持ちや娘が大切にしている小さな世界の存在に思い至り、気が済むまで好きなものを詰め込んで飽きるまで、重いと本人が気づくまで、この遊びをそっと見守ろうと小さな決意をしました。そして25年前の阪神大震災の時、私自身も無用のものを詰め込んでずっしり重くなったKANGOLの黒いリュックを、いざという避難の時に備えて準備していたことを思い出しました。