われらが隣人
今年の秋に開催する個展に向けて制作を進めています。個展の会場となる場所は金沢の東茶屋街の近く、山野草を扱っておられたお店で(現在はお店を閉めておられるのですが)、この度の展覧会のために空間を使わせていただけることになりました。
植物に並々ならぬ愛情を注いでおられ、ご本人はデザイナーでいらっしゃるオーナーさんのとても素敵なお店で、そのような場をひとときお借りし、どうすれば「アートの磁場」のようなものを発生させられるかと、いま「植物」を展覧会の中心となるモチーフに据え、制作を進めています。
ちょうどNHKの連続テレビ小説では植物学者の牧野富太郎博士の生涯をモデルにしたドラマが始まりましたね。私の展覧会のテーマを植物と決めたのは昨年の秋ごろで、特にドラマのことは意識していなかったのですが、環境問題への危機感や関心の高まりが、これまであまりにも人間中心に動いてきた様々な活動への反省とともに、人間以外の動物、植物たちへの関心やまなざしへと向かっているように感じます。
「植物」といっても、あまりにも私たちの生活の風景に溶け込んだ存在で、私たちの生命・生活のあらゆる面において関係しないことはないくらいで、それ故にかえって漠然としてしまうような、それほど植物とは多方面を横断する存在、テーマでもあります。
植物を非常に上手に育てることができる人のことを「緑の手をもっている」という表現があるそうですが、私自身は植物を枯らしてしまうタイプの人間・・・、原因はマメに水やりや手入れをする時間を捻出しない(できない?)ことと、育成するための学びが足りないこと。そんな私が植物をモチーフ・テーマに展覧会をする資格があるのかと自問する日々ですが、植物をうまく育てられない私でさえ、日常のなかで目にする植物が気になるし、その姿に心は和むし、知れば知るほどその生態に驚き、これまで植物を痛みもなにも感じないものであるかのように接してきたことを反省し・・・と様々な感情や思考を与えてくれる植物はやはり偉大です。
私が長年モチーフにしてきた衣服も、もとは植物から取れる染料の成分を借りて染められた、植物の繊維を撚った糸を織ってできたもの。刺繍やレースにも植物紋やモチーフが見られるように、人間は植物の力を借り、布を通じて密なる世界を築いてきました。現代においては、衣服はポリエステルなどといった化繊も多く、化学染料で染められ、大量に安価に生産・消費され、機織り染織、刺繍などを自家で行った自給自足の暮らしから、私たちは遥か遠くまでやってきました。機械化、効率化、合理化された衣服にあっても、花々の模様や刺繍、レースが施されていることに私は興味があります。
人間中心的な世界の見方から、植物という人間の「他者」「隣人」の姿を通じて日常や世界の見え方にズレが生じる、変化する・・そのような展覧会のことを考えています。
そんなこんなで、お天気が良い日には娘たちと歩いて保育園へ向かう道すがら、様々な春の植物を目にし、興味が沸きます。「幼いころから見てきた植物だけど、これって一体なんて言う名前の花やっけ?」
写真は仕事場の玄関前の溝に元気に生えていた草。旺盛に繁茂するとちょっと困るので失礼して抜きましたが、可愛らしいので自宅に持ち帰って飾りました。子供の植物図鑑で調べてみると「アブラナ目アブラナ科 タネツケバナ(種漬花)」というそうです。
オドリコソウ、ウツボグサ、ホトケノザは一見似ていてややこしい・・同じシソ科なのね、葉っぱは香りが良いのかな。名前がなかなか覚えられない。あれ、調べたあの草、なんだったっけ?
そんなことを思いながら、足元の草花の存在が気になる今日このごろです。
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