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石引一丁目の亡霊




金沢の美術工芸大学からほど近い、石引商店街の空き家となった古い薬局(二階は美容室、三階は居室)で開催されている展覧会「石引一丁目13-30」を4月に見に行ってきた。


アーティストは金沢で現代アートのオールタナティブスペースを運営する中森あかね氏と、ドイツで活動し現在富山県に拠点を置くアーティストの宗友実乃里氏だ。


明るい午後の日差しに照らされた二階の美容室に入ると、再び人の手が入り美しく並べられた品々が目に入る。化粧品のカウンター、コレクションのように陳列された貝殻、水回りと台所の品々、冷蔵庫の食品(日本酒のパックもある!)。さて、ここからどう読み取ろうかなと室内を巡っていると一人の女性が入ってきた。女性は美容室に入るやいなや壁に掛けてあった薄紫の鮮やかな仕事着を羽織り、仕事に取り掛かる。ブクブクと静かに空気を吐き出す水槽の金魚に餌をやり、床を磨き、大きな鏡を拭く。今の時間は来客の予定がないのか、自分で美容室の椅子にどっかりと深く腰掛けて傍にあるマニキュアを慣れた手つきでシュッと塗ってみたりしている。


室内はいやに明るい調子の化粧品の宣伝の時代がかった音声が流れていて、世の中には希望が溢れているのだと信じ込まされるような調子だ。午後の光と音声と音楽で室内は黄色く染まっている。


そこには観客は「存在しない」。髪を短く刈り込み、少しカラーリングをし、きっちりと化粧をした美容室の女性は、ある時点まで観客の存在には見向きもしない。この女性とは実はアーティストの中森あかね氏本人なのだが、何十年も前に本当にここで働いていた女性なのではないかと錯覚するような不思議な感覚に包まれる。タイムスリップしたような、というと月並みな表現だけれど、そこで私たちは「存在しない」人に出会うのだ。それは、夢の中で、もうこの世に存在しない、しかし会いたくて仕方がなかった人の在る世界に暫く身を置くことができた時の何とも言えない幸福感にも似た感覚だった。(その後、鑑賞者は女性によって美容室の椅子へ腰かけるように誘われる)ヴァルター・ベンヤミンはかつて夢の中で、私淑していたゲーテと出会い、涙を流したというテキストを思い出した・・・。


石引一丁目13-30の一室で私は亡霊に会った。もしかしたら目の前の彼女から見えていない時の、私たち鑑賞者の方が亡霊だったのかもしれない。そして、いつか確実に私たちも誰かにとっての亡霊なるだろう時間の流れに思いを馳せる。


この作品のタイトルは「聖なるものたち」という。明るい室内でかつての持ち主との時間を密やかに内包した品々はかつての輝きを思い出したかのようにピカピカと光り美しかった。







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