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空気の記憶-shirt- / 陶土に釉薬 / 手彫り / W30×D36×H8 (cm) / 個人蔵

空気の記憶-tank top- / 陶土に釉薬 / 手彫り / W28.5×D21.5×H3 (cm) / 個人蔵

空気の記憶-socks- / 陶土に釉薬 / 手彫り / 左右各W33×D8.5×H3.5 (cm)

空気の記憶-chouchou- / 陶土に釉薬 / 手彫り / W10×D11×H4 (cm) / 個人蔵

​空気の記憶

私が制作している「空気の記憶」という一連の作品は、中古の衣服や日用品の皺や歪みなどを観察し、その形状や細部を粘土で成形しながら彫り、かつての持ち主たちの「 気配」を焼き物に記憶させるという試みである。

持ち主の身体に一番近いところにある衣服は、日用品のなかでも一層、親密にに私たちの皮膚感覚など生理的な感覚や無意識の内面と関わる。着古された衣類は、その持ち主の身体の特徴や動きの癖などにより生じる変形や皺から、ある種の繊細な「個性」を与えられる。それはその持ち主の生の痕跡であり記憶である。

焼き物のボディとなる粘土はその可塑性により様々な形を象ることに優れた素材である。一度高温で焼成されると可塑性は失われ、与えられた形体を頑なに保ち続けるまでに固く変質する。この変化故に焼成後は木材や金属のような再加工は難しく、変形するとすればそれは割れる時である。また焼き物の表面を覆う釉薬は一種の「ガラスの膜」であり、塗料などとはある種異なる表面の深みを与えてくれる。私はこのような素材に対する考察により、粘土が形体を与えられ焼成によってそれらを留め続ける、つまり「記憶する」性質や、釉薬が高温で溶け流れ冷えて固まる性質など、制作過程の中で刻々と変化していく粘土や釉薬が時間や記憶について語ることに適した素材なのではないかと考えている。

衣服や日用品の細部に宿る持ち主たちの存在の形跡は、ひとたび粘土によって象られ、釉薬のガラスに包まれ焼成されれば、焼き物の中に密やかに留まり続けることになる。

ここで私が語る’’衣服の持ち主たち’’の存在はあまりにも漠然として感じられるかもしれない。私たちの日常はこうした見えない他者との関係の中にすっぽりと内包されており、日常の意識の外側にいる’’見えない他者’’は想像力を働かせて努めなければその存在を感じることはできない。しかし私たちが目にするあらゆるものを辿っていくと必ず無数の知らない誰かに繋がっているのだと私は強い実感を伴って思う。

誰かが身に着けていた服があり、それがある時持ち主の元を離れ、空間と時間を越えて私がそれを手にすることの不思議。人が存在し、やがてこの世界からいなくなるという存在に纏わる神秘。世界中に存在する無数の濃密な生を想像するとあまりの果てしなさに身震いすると同時に感動を覚える。

世界をどのように感じることができるか、どのように見ることができるかということに私の制作の興味は向かう。私が捉えたイメージは小さな孔から覗き見るような断片的な世界の姿かもしれない。しかしそんな小さな孔からでも世界は確かに見えてくる。

                                    

                                      2011年

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